純情の同志を生みしこの街よ今野大力はいま世にあらず   小熊秀雄

金倉義慧著『北の詩人 小熊秀雄と今野大力』を読みました。

小熊秀雄(1901~1940)も今野大力(1904~1935)も旭川出身の詩人で、治安維持法時代にプロレタリア作家同盟に加わり、旭川と東京で働き、活動した先駆者です。

小熊と今野の詩碑は、市中心部の常磐公園に並び立っています。

しかし、これまでの定説では、両者はある時期から対立しあい、それぞれの人生を終えたと、されていました。

本書は、この定説をくつがえし、小熊と今野は終生敬愛しあっていたということを、究明した労作です。

本書の巻末ちかくに、小熊秀雄が、1938年に『北海タイムス』(現『道新』)に発表した、短歌が紹介されています。

純情の同志を生みしこの街よ今野大力はいま世にあらず

金倉氏は、「その傍らにはカッコ書きで、“今野は旭川出身、旧『戦旗』編輯者”と加えていた。“同志”という言葉、旧『戦旗』編輯者、という但し書き。・・・・中国との戦争のただなかの国家総動員法が公布されたこの時期に、よくぞこのまま『北海道新聞』は掲載したと思う」と驚きを記しています。

もっともです。もしもこの記事が特高の目にふれていたら、『道新』の関係者も小熊も、間違いなく逮捕・拷問されていたでしょう。

本書では、小熊秀雄が、小林多喜二の葬儀に駆けつけて逮捕・拘留されるとともに、同時期に強行されたスターリンによる旧ソ連での暴圧をも、厳しく糾弾していたことが、明らかにされています。

嬉しいエピソードも紹介されています。それは、
労農党の山本宣治代議士が、1928年12月5日午後6時から、旭川市3条17丁目の旭座で演説会に臨み、今野も参加し、350人の聴衆が集まったそうです。

旭座は戦後「富士館」と名前を変え、私もよく映画を観に通いました。その後「富士館」は閉館して、タクシー会社の社屋となり、いまは更地になっています。

当時24歳の今野大力は、市内8条7丁目あたりから、歩いて旭座に向かったとのこと。

私の事務所は3条16丁目にあります。旭座は目と鼻の先です。

事務所前の歩道を、たくさんの聴衆とともに、喜び勇んで会場に向かう今野の姿が、目に浮かびます。

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プロフィール

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〇1949年旭川市永山生まれ 
〇正和小、明星中、旭川西高、宇都宮大学卒業  
〇家族 妻、2男(札幌と横浜に在住)、猫4匹(ねず、とら、みけ、ぎん) 
〇趣味 昆虫の観察と研究。ジョギング。
〇写真は、「さようなら原発全道1万人集会」(2012年10月13日。1万2千人が参加)の会場で写したものです

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