『エヴェレスト 神々の山嶺』を観ました。フィクションとしては空前絶後の山岳映画だと思いました

『エヴェレスト 神々の山嶺』を観ました。

「エヴェレスト南西壁・冬季・単独・無酸素登攀」をテーマにした、夢枕獏の小説の映画化です。

20年ほど前に、原作を読んだときは、「不可能な話」と思いながらも、ひきつけられて一気に読みました。

山をよく知っている作者の、「登山靴を履くときに、ほんのかけらのような氷の粒でも中にはいれば、重い凍傷にかかる」などの描写に、フィクションということを、忘れさせられました。

私の原作の記憶は相当薄れていますが、映画では、登場人物たちの人間関係が、原作を土台に、より一層ヒューマンに練り上げられていると感じました。

高山病の危険にさらされながら、ヒマラヤの標高5200メートル地点でされた本作は、フィクションとしては空前絶後の山岳映画だと思いました。

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         エヴェレスト南西壁  映画ではここを、冬に単独かつ無酸素で直登する
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マルクスの「宗教はアヘン」についての、ある牧師さんの「革命的」な発言に共感しました

20歳代半ばの若きマルクスは、「宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の真情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」と述べました。

私はこれを、「マルクスは、宗教を全面否定しているわけではない。宗教が、抑圧された民衆を癒しになっていることを否定していない。またマルクスもエンゲルスも、ローマ帝国やドイツ農民戦争で、キリスト教が民衆のたたかいのなかで果たした役割を高く評価している」と理解し、発言もしてきました。

ところが最近、ある牧師さん(さいたま市の桜丘聖書集会の平沢功氏)の、「宗教はアヘン」についての発言を知って、感心しました。

平沢氏は言います

「聖書には、天の国、すなわち神の国の教えがあります。
愛と正義と平和が実現している世界、それが神の国です。
私たちはそこに希望をおいているわけです。
この神の国を座して待つ、現実の悲惨な世界に目をつぶる、これをマルクスは『宗教はアヘン』だといったのだと、私は理解しています。
そういう意味ではたいへん当たっているのではないかと思います。
たいへん大事な指摘だと思います。
キリスト教にもアヘン的理解がすくなからずあります。
 略
この神の国を現実の世界に実現するようにと祈り働くのがキリスト教の信仰だということを、イエス・キリストは教えているのです。
未来にのみ希望をおいて、現実に目をつぶってたたかわない、これはキリストの教えに反することです。
私たちはマルクスが指摘したとおりになってしまうということをしっかりと考えなければならないと思います」

変革の志に満ちた、「革命的」な発言だと思い、共感します。

全文は日本共産党発行の月刊誌『前衛』3月号に載っています。

プロフィール

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〇1949年旭川市永山生まれ 
〇正和小、明星中、旭川西高、宇都宮大学卒業  
〇家族 妻、2男(札幌と横浜に在住)、猫4匹(ねず、とら、みけ、ぎん) 
〇趣味 昆虫の観察と研究。ジョギング。
〇写真は、「さようなら原発全道1万人集会」(2012年10月13日。1万2千人が参加)の会場で写したものです

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